―マイケルさんは「バイオトピア」という博物館を創設し現在開発中ですね。伝統的な施設である博物館をなぜ今作ったのでしょうか。
バイオトピアは生命科学と環境に焦点を当てた博物館です。このプロジェクトでは、私たちが直面する課題に対して自然史博物館を作り変えることを目指しています。つまり過去ではなく現在と未来の課題に目を向けるということです。
今は全てのことがオンラインでできますし、TikTokやInstagram、YouTubeもあります。メタバース上ですべてを作り出すことだってできます。しかし私は物理的な空間として博物館を作ることに価値があると思っています。
私たちはソーシャルメディアのアルゴリズムによってますます操作されるようになっています。さらに残念なことにフィルターバブルやエコーチェンバーという形で、ネガティブな感情や排他的な考えはより強められています。
一方、物理的な空間はこのようなエコーチェンバーから解放される「出口」となりえます。これがバイオトピアを作ろうと思った1つ目の理由ですね。
――博物館がアルゴリズムから解放される場となるのですね。
2つ目の理由は、そもそも博物館は一般の人々から情報源として絶大な信頼を得ていることです。政府やジャーナリスト、NGO、さらには科学者よりも信頼されているといえるかもしれません。この信頼を活かしつつ「プロセスとしての科学」への信頼を生み出せるかが重要なのです。
さらに3つ目は、自然史博物館は重要な現代的な問題を扱っているということです。クレイグ・ヴェンター*が言ったように、私たちは生物学の時代に生きています。例えばクリスパーキャス(CRISPR-Cas)*や幹細胞技術など、生物学には大きな変革が起こっています。また私たちは生物多様性や気候変動、窒素循環*、地球化学サイクル*などの問題にも直面しています。だから自然史博物館は、これらすべてのテーマと一般の人々を結びつける場であるべきだと思います。
*クレイグ・ヴェンダー:アメリカ合衆国の分子生物学者、実業家。ゲノム研究とその産業利用において精力的に活動している。
*クリスパーキャス:近年開発されたゲノム編集技術。従来の遺伝子組換え技術に比べ、正確性と利便性が大幅に向上した。
*窒素循環:地球上において、大気や土壌、生物などの環境間で窒素がやり取りされる中で形成される大きなサイクルのこと。
*地球化学サイクル:地表と地殻などの間でやり取りされる、地球規模での化学物質の循環。
――これまでの博物館のあり方とバイオトピアの違いは何でしょうか。
バイオトピアでは生命科学と環境に関する「動的なプラットフォーム」を作りたいと考えていて、バイオトピアでの体験には3つの大切な要素が含まれています。
1つ目は「好奇心」で、これは誰にでも生まれつき備わっているものです。しかし残念ながら、アルベルト・アインシュタインが言うように、この好奇心の大部分は学校教育によって失われてしまいます。好奇心はすべての科学的な探究の基礎となるものなので、それをサポートすることが必要です。
2つ目の大切な要素は「共感」です。共感は「自分の視点から一歩踏み出し、異なる目を通して世界を見る」という、視点の転換が必要です。この視点の転換によって、私たちは自分たちを別の視点から振り返ることができるのです。
――「共感」はこれまでの博物館にない要素かもしれません。
3つ目は最も難しい要素である「来館者の主体性」です。絶望感や無力感を覚えずに生物多様性や気候変動に関わってもらうために、私たちには何ができるでしょうか。
絶望感が伝わると、人々は口を閉ざし自分には何もできないと感じることになります。来館者が「自分にも変えられる、自分にも何かできる」と思えるように、博物館はインスピレーションと想像力に溢れた場であることが大切です。
博物館の多くは好奇心を刺激する場にはなっていますが、共感性を高める博物館は少なく、来館者の主体性を育むようなところはほとんどありません。
――バイオトピアにはどのようなプログラムがあるのでしょうか。
環境や科学団体と提携するラボを通して、上記の要素はすべて館内で体験できるようにする予定です。「食」は環境や健康、持続可能性と人々を結びつける素晴らしいテーマだと考えているので、フードラボを設けています。またクモの糸や藻、キノコの皮などの自然由来の素材を使ったバイオアートとデザインに関するラボも設置しています。バイオラボとニューロラボでは、来場者が実験に参加して「プロセスとしての科学」を体験することができます。
ラボはレジデンスプログラム*と密接にリンクしているので、科学者やアーティスト、デザイナー、シェフなどと常にコンテンツを更新していきます。これが「来館者の主体性」への第一歩なのです。
*レジデンスプログラム:研究者やアーティストが派遣先の提携機関(企業や博物館といった施設など)に一定期間滞在しながら、研究や創作活動を行うプログラムのこと。
――来館者が体験を通して主体性を得るのですね。
多くの博物館は壮大で感動的な「入口体験」を作り出そうと考えていますが、私たちは「出口体験」に焦点を当てています。たとえばどのようにして市民科学*や環境プロジェクトへの参加を促すかを考えているのです。
またバイオトピアは生命に関する博物館なので、来館者とは生涯にわたって関わりを持ち、主体性に基づいた関係を築きたいと考えています。そのためには来館者が課題解決に向けた活動を続けるきっかけになることが必要で、そうすることで来館者に“バイオトピアン“になってもらうのです。
*市民が主体となって科学研究・開発を行う活動
――日本の博物館は運営費の調達に悩んでいます。
実はヨーロッパでも同じことが起こっています。大きな資本投資をして政治家によるテープカットと式典が行われても、その後は小さなチームでの運営を余儀なくされます。施設をリニューアルする余裕はほとんどありません。
しかし私が以前運営に携わっていたサイエンス・ギャラリー*という博物館では、常設展示がないかわりに常に新しいことを行うことができました。たとえば「AIとバイアス」、「ヒューマンエンハンスメント*」、「未来の食べ物」など、3、4か月ごとにすべてのトピックを入れ替えたのです。博物館では5年単位で展示を組むことが一般的ですが、これでは世界で起こっていることに対応できません。
*サイエンス・ギャラリー:アイルランドのダブリンにあるトリニティ大学内に2008年に設置された科学とアートに関するスペース。最近はロンドン、メルボルンなどの大学で実験スペースのネットワークとして発展している。
*ヒューマンエンハンスメント :医療が人々の健康や疾病の治療という目的を超越して、人の身体における運動能力・知的能力・精神力などの増強を図ること
――展示をどんどん変えていくのは大変そうですね。
サイエンス・ギャラリーは大学の中にあるので、サイエンスコミュニケーションのトレーニングを受けた学生が展示と来館者のメディエーター(=仲介役)として働いていました。学生たちは単なる説明員やツアーガイドではなく、展示に基づいた対話という方法で一般の人々と交流していました。その結果、実に来館者の約9割が「もっとも良い経験はメディエーターとの対話だった」と答えています。また学生にはメディエーターとして報酬を払っていましたが、同時に彼らは来館者との対話スキルを得ることができました。こうして学生はギャラリーにより深く関わるようになったのです。
――バイオトピアの課題は何ですか?
ドイツでは博物館は静的なものという考え方があるので、バイオトピアの価値を実感してもらえないのが課題です。ですからバイオトピアを実際に見て知ってもらうことが必要だと思っています。
今バイオトピアラボというテストベッドスペース*をオープンしていて、様々なことが試せるようになっています。学生にはメディエーターとして活躍してもらっていますし、大学との連携講座も開いています。
科学は静的なものではありません。私たちは多様な分野の人々が未来について創造的な対話ができるような場を必要としています。展示会を作ればいいというものではないのですね。
*テストベッド:システム開発時、実際の使用環境に近い状況を再現可能にする試験用の環境。
「バイオトピア」が行っている事例は、どれもLeaLがサイエンスコミュニケーションの実践を行う上で勉強になるものばかりでした。
面白くてワクワクするコンテンツを作るのは大前提で、その先も見据えたサイエンスコミュニケーションの形を考えていく必要があると思いました。
LeaLのサイエンスコミュニケーションの実践である、科学系Podcast「サイエンスラバー」もよりブラッシュアップしていきたいです。みなさんぜひお聞きください!
執筆:Ann Yamamoto、佐藤 春恵、小池 拓也、瀬戸 彩季