ーーまず、ワールド・サイエンス・フェスティバルを立ち上げた経緯を教えてください。
トレイシー氏:
ワールド・サイエンス・フェスティバルは、コロンビア大学の理論物理学者であるブライアン・グリーンと私が共同で立ち上げたものです。
ブライアンが執筆した書籍は、これまで多くの人たちの関心を集めベストセラーにもなりました。また、彼が出演するテレビ番組や講演も多くの人たちの注目を集め、難しい科学を理解しようとする熱狂的な人々がいることに私は驚きました。
一方、私はニュースやドキュメンタリー、ノンフィクションなどの映像制作をしてきましたが、「これはとても重要なテーマだから、ぜひ知ってほしい」と思って映像を作っても、視聴者の心を動かすことはまれでした。私は「科学者と一般の人々との間には、認識のずれや見えない壁があると感じました。しかし、ブライアンはその壁を突き破った稀有な科学者でした。
私とブライアンは、一般の人たちを惹きつけるためには「どのように物語=ストーリーを語るか」が重要だと痛感していました。
だから私たちは「素晴らしいストーリーテリングと独創的なプログラムがそのギャップを埋めることができる」と考え、ワールド・サイエンス・フェスティバルを立ち上げたのです。
ーーなぜイベントの名前に「フェスティバル」という言葉を選んだのですか?
「フェスティバル」という言葉にはネガティブなイメージはありませんし、「大変そう、難しそう」とも思われません。祝祭、新しいアイデアに触れる体験、驚きをプログラムの中に取り込みたかったのです。
しかし表面的なコンテンツを作って満足するのではなく、科学を真正面から伝える工夫を凝らしたいと私たちは思いました。
私たち制作チームは芸術的でクリエイティブな手段を使いながら、どうやって素晴らしい科学や科学者たちの裏側にあるストーリーを伝えるのか考えました
それが、ワールド・サイエンス・フェスティバルの最初のコンセプトでした。
ーーワールド・サイエンス・フェスティバルは、科学に興味がある人にターゲットを絞ることなく、一般の人たちに届けることを重要視されていますよね。
一般の人たちを対象にするというのは、やりごたえのある挑戦でした。どんなものでもすべての人を満足させることはできないし、伝えたいことをすべての人に届けられるわけではないからです。
それでも私たちが意図的に一般市民を対象としたのは、科学は誰の生活にも存在するからです。
科学を恐れている人たちもいますが、そんなに恐れる必要はありません。私たちがうまく伝えることができれば、科学は皆さんに新しい世界を見せ、視野を広げてくれるでしょう。
だからこそ私たちは科学という枠を飛び出して、大衆文化の中に入り込みたいと思いました。
私たちは、人々の心の中や社会の中の”科学”の位置づけを、より身近でエキサイティングな場所に移していこうと決めました。そのため私たちは、どのようなイベントやコンテンツがどの観客に届くのか、またどのような人たちが、興味を引くのが難しい観客なのかを見極めることに注力しました。
例えば家族や小さな子どもは、必ずしも学者やアーティストと同じ番組に惹かれるとは限りません。また、他の視聴者より内容の理解が難しい視聴者がいることを認識するのも重要です。こういうチャレンジは楽しいですね。
科学の本をいつも読んでいる人にとっておもしろく見えるコンテンツでも、普段から科学館や講演会に行かないような人にとっては全く面白くないものになっていることがあります。だから「どうしたら多くの人の興味を引けるか」を常に考えることがとても重要です。
ーートレイシーさんご自身は科学者ではありませんよね。”非科学者”として、科学のどのような点に魅力を感じていますか?
活動を始めた当時、科学について語られていないストーリーがたくさんあることに私は気づいたのです。
私はテレビのジャーナリストとしてニュースの取材や分析、情報番組などを担当してきましたが、その際に重要だと感じていたのは、視聴者により理解してもらうためにトピックの裏にあるストーリーを伝えることでした。
ABCの「The Century」という番組で、政治家や作曲家、作家、科学者など、さまざまな分野の有識者にインタビューしていました。ブライアンもその一人であり、私たちの出会いのきっかけでもありました。
そこで驚いたのは、科学者の話がとても面白く、洞察に富んでいたということです。
私たちのようなマスメディアは、科学者の元へ足を運び話を聞こうとはしませんでした。なぜなら「科学者の話は退屈で、一般の人とは話したがらないものだ」と思い込んでいたからです。でも本当は、私たちは科学者から直接話を聞きたいし、聞く必要があるのです。私にとって、これはストーリーテリングへの挑戦でした。なぜなら私は大学で科学を専攻していたのでも、サイエンスコミュニケーターになりたいと思ってきたのでもありませんから。
ジャーナリストとして、「素晴らしいストーリーはどこにでもある」と教えられてきましたが、科学にも多くのストーリーがありました。
内容を掘り下げていくと、創造力がどんどん湧いてくるんです。信じられないほどエキサイティングで、とにかく楽しいですよ。
ーーコミュニケーションの重要性はほとんどの人が理解している一方で、全ての科学者がコミュニケーションに対して意欲的とは限らないと思います。トレイシーさんはどう感じていますか?
以前、ABCニュースで仕事をしていたときから、一部の科学者がコミュニケーションに消極的であることは知っていました。私は神経科学を急進展させた科学者にインタビューをしたことがあります。その優秀な科学者は、自分の研究分野については精通していても、カメラの前では不安を感じ居心地が悪そうでした。
それでも私たちは科学者たちに、科学者と一般の人との間の障壁の1つである専門用語に頼らずに、彼ら自身のストーリーを明確に伝えてもらう必要があったのです。
これは非常に難しい問題で、専門用語は科学の世界では的確かつ明確に理解されているため、科学者は専門用語を使うことにこだわります。口語的な言葉は正確さを欠くと感じるため、使うのを怖がることがよくあるのです。
だからこそジャーナリストと科学者は、科学者自身が「専門用語を使わなくても大丈夫だ」と思えるように協力する必要があります。
求められているコミュニケーションは、専門用語を使用するものでは無いのです。
科学者の中には、なかなか協力したがらない人もいれば、協力してくれる人もいます。また、コミュニケーションが非常に得意でありながら、一般の人たちに説明する機会を持てない科学者もいます。
私はワールド・サイエンス・フェスティバルで、多くの科学者が一般の人たちに自身の研究について説明できることに大きな喜びを感じているのを見てきました。これはとても有意義なことだと思います。
科学を魅力的に伝えようとするとき、トピックや事象について単に説明するのではなく「物語=ストーリー」を語ることが重要である、というトレイシーさんのお話には多くの気づきがありました。
ワールド・サイエンス・フェスティバルには多くのオンラインコンテンツもあるので、ぜひご覧になってみてください。
後編では、多くの人を惹きつけ、科学に誠実なイベントを作るために重視していることについて、より具体的にお伺いしていきます。
執筆:Ann Yamamoto、小池 拓也、瀬戸 彩季、佐藤 春恵